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台北の公園・広場人気ランキング

公園・広場・通り

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Fortune telling underground passage

占い横丁

占いの本場である台湾

台湾では、占いは廟へのお参りなど、お祈りや願掛けと同様生活の一部となっている。 結婚、出産、引越しなども占いによって決める人もいるそう。 四柱推命、手相・面相、風水のほか、米掛という米粒をつまんだ数で運勢を見る占術や、亀の甲羅を使った亀占い、小鳥を使った小鳥占いなど、沢山の種類の占術がある。

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青田街

緑繁る閑静な街

台北で若者に人気のスポット「康青龍(カンチンロン)」。 「永康街(ヨンカンジエ)」「青田街(チンディエンジエ)」「龍泉街(ロンシェンジエ)」から一文字をとって作られた言葉。

Jishan

基山街

九份のメインストリート

九份観光の入口である基山街は、飲食店やおみやげ物やさんが軒を連ねる石畳の商店街で、一部がアーケードになっている。 狭い路地がたくさんの人で賑わっており、お祭りや縁日のような喧騒に包まれている。 但し、アーケードは日本のそれと違い雑多なつくりなので、雨が多い九份には雨具を用意して行った方がいいだろう。 人が多いので傘よりもカッパがおすすめだ。

Yi xian park

逸仙公園

逸仙公園と国父史蹟紀年館

1913年と1914年に孫文が台湾に訪れた際宿泊した、純日本様式建築の「梅屋敷」と呼ばれた旅館を移築した国父史蹟館と中国江南風庭園を合わせた公園である。 館内には孫文ゆかりの遺品が展示されている。 「逸仙」は孫文の号の1つ。

Xinyi District Office

信義公民会館

レトロとモダンの対比

1948年、四四南村に軍人村である眷村が建設された。 老朽化と都市開発により住民たちは転居したが、跡地を文化遺産として残そうという呼びかけがあり、信義公民会館として管理されるようになった。

Wan hua 406 hao guangchang

西本願寺広場

古さと新しさの融合

西本願寺は日本統治時代の明治29年(1896年)に浄土真宗本願寺派が布教のために建てられた当時台湾で最も大きな日本式寺院。 だが、1975年に大きな火災に見舞われ本堂をはじめ、ほとんどの建物が焼失してしまった。 近年になって、台北市の開発が進み、日本統治時代に建てられた建物を保護しようという意見が増えており、台北市政府が一部を市定古跡に指定するなどして跡地を…

A City of Sadness

悲情城市の撮影地

狭い石段と赤い提灯が並ぶ街

1880年に金鉱の街として発展し、日本統治時代に最盛期を迎えた九份。戦後金鉱が閉山されてから衰退していったが、ヴェネチア国際映画祭で1989年に金獅子賞を受賞した侯孝賢監督の映画「悲情城市」のロケ地となり、再び脚光を浴びた。 狭い路地や石段は、日本統治時代に造られたもので、街並みも当時の面影が残っている。

Elephant Mountain

象山

台北市の絶景スポット

四獣山は象山・虎山・豹山・獅山という都会のすぐそばにある4つの山の総称で、ハイキングコースとなっている。 象山はその中で一番高く、ここから眺める台北101を含む台北市内の景色は素晴らしい。

Linsen N Rd

林森北路

大人の街

林森北路は道路の名前だが、「日本人向け歓楽街」と呼ばれている、長安東路と南京東路に挟まれた南北、新生北路と中山北路に挟まれた東西のエリアの通称でもある。 元々、日本統治時代は「大正町」と呼ばれる日本人街であった。

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