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ローマの観光スポット人気ランキング

観光

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Chiesa di San Francesco a Ripa

サン・フランチェスコ・ダッシジ・ア・リーパ教会

ベルニーニの晩年の名作を由緒ある教会で楽しむ

サン・フランチェスコ・ダッシジ・ア・リーパ教会は、トラステヴェレ地区に位置する教会で、聖フランシスコが初めてローマに訪れた際に宿泊した、由緒正しい教会である。

Aventino

アヴェンティーノの丘

庭園、教会散策ができるローマを一望できる丘

アヴェンティーノの丘は「ローマの七つの丘」と呼ばれる、古代ローマの領土の中にあった丘一つで、その中でも最も南に位置するものである。 テヴェリ川の東に位置し、丘の上からはローマの街がよく見える。 また、ローマの建国神話にも出てくることでも有名である。 双子の兄弟のロムルスとレムスが新しい都市をつくる際に、ロムスはアヴェンティンの丘を選らんだが、双子の兄のロムル…

Giardino degli Aranci

サヴェッロ公園

オレンジの木が茂る見晴らしのよいガーデン

サヴェッロ公園は、別名オレンジ庭園と呼ばれ、アヴェンティーノの丘に位置する公園である。 ローマの中でもひときわ眺めが良い場所である。 歴史的には、1285年から1287年の間にサヴェッリ家が建てた要塞の敷地内に位置し、その中には城もあったとされる。

マルタ騎士団広場

名物の鍵穴を覗くと、正面にクーポラが見える

マルタ騎士団とは、キリスト教カトリック巡礼者の保護・支援を目的として、中世のローマで設立された騎士修道会のことである。 現在、軍事組織としての意味合いは当然のことながら喪失しているが、医療などの事前活動を行う組織として存続している。

San Saba

サン・サーバ教会

ローマにおける東方系教会の拠点「サン・サーバ教会」

サン・サーバ教会の現在の建物は12-13世紀に建てられた。初期の教会は現在の建物の下にある。 当時、 エルサレムにはキリスト教の東方教会があったが、イスラム教徒による迫害を恐れた修道士たちがローマのアヴェンティーノの丘へ逃げ、そこで暮らし始めた。 サン・サーバ教会はその時に建てられ、ローマにおける東方系教会の拠点となり、 ローマの政治に重要な位置を占めた。

Porta S. Sebastiano

サン・セバスティアーノ門

今なお残る巨大なローマ時代の城壁

サン・セバスティアーノ門として知られる旧アッピア門は、アウレリアヌス城の城壁に用いられていた城門である。 アウレリアヌス城壁は、271年から275年、アウレリアヌス帝とプロブス帝の時代に造られた。

Domine Quo Vadis

ドミネ・クォ・ヴァディス教会

キリストと弟子のペテロが最後に会った場所

教会名となっている「ドミネ・クオ・ヴァディス」は、ラテン語で「主よ、どこへ行かれるのですか」という意味がある。 伝説では、キリストと弟子のペテロが最後に会った場所として知られている。

Le Catacombe di San Callisto

サン・カッリストのカタコンベ

初期キリスト教徒の共同埋葬所「カタコンベ」

カタコンベとは、帝政ローマ時代の初期キリスト教徒の共同埋葬所である。  ローマ市周辺のカタコンベは約60カ所あり、そのうち5ヶ所が一般公開されている。 「サン・カッリストのカタコンベ」は、地下四層からなり、迷路のような細い道が全長20キロメートル以上続いている。 約10万人が祀られており、 1854年にデ・ロッシによって発見された 「教皇の地下室墓」には3-…

slick_San-Sebastiano

サン・セバスティアーノ聖堂

聖セバスティアヌスを祀る「サン・セバスティアーノ聖堂」

ローマの7大バジリカ(聖堂)の1つ。 4世紀前半に使徒ペテロとパウロに捧げられた教会である。 地下には全長12キロメートルのカタコンベがあり、 約6,5000人以上が葬られている。 一時、使徒2人も埋葬されていた。 現在の建物は、17世紀シピオーネ・ ボルゲーゼ枢機卿の命で、建築家パッラーディオとベネチア派の画家パオロ・ヴェロネーゼにより改築された。

Catacombe di Domitilla

ドミティッラのカタコンベ

ローマの最大のカタコンベ「ドミティッラのカタコンベ」

ドミティラのカタコンベはローマの最大のカタコンベである。 内部には地下聖堂があり、中世まで殉教者ネレウスとアキレウスの墓で巡礼聖域の中心地だった。 ネレウスとアキレウスは法廷付きの近衛兵であったが、何らかの理由により冷酷な任務を課せられたため、職務を辞め殉教したと伝わる。

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