本メディアでは一部、事業者から商品やサービスの広告出稿を受け収益化しています

ナポリの観光スポット人気ランキング

観光

63件

Complesso Monumentale di Santa Chiara

サンタ・キアーラ教会

神聖な教会の上部から見渡せる、ナポリ市街の大パノラマ

サンタ・キアーラ教会は、ナポリの市街地のほぼ中心部に位置している教会である。 その外観は、少し薄汚れている印象すらあるほどに地味であり、前情報なしに訪れると素通りしてしまいそうなほどに悪い意味で景観に埋もれている。

Villa San Michele

ヴィッラ・サン・ミケーレ

アナカプリで実現された、スウェーデン医師の夢の家

アナカプリの北西部にある、20世紀初頭にスウェーデン人の医師であり作家のアクセル・ムンテにより作られた素晴らしい邸宅である。 カプリの中心とアナカプリを結ぶ、フェニキア人によって作られたとされる石畳の階段スカーラ・フェニチア(「フェニキアの階段」の意味)上にそびえる崖に建つ。

Museo di Capodimonte

国立カポディモンテ美術館

スペイン王が愛した美術品の数々

ナポリの街を見下ろす丘の上に、国立カポディモンテ美術館は堂々とそびえたっている。 国立カポディモンデ美術館は、ナポリ・ブルボン家のカルロ7世(後のスペイン王カルロ3世)が母から受け継いだ美術品コレクション「ファルネーゼ・コレクション」を展示するための場所であった。カルロの母はイタリアの名門貴族・ファルネーゼ家の出身であり、膨大な美術品を代々所持していることで…

Museo Archeologico Provinciale

県立考古学博物館

ドリス様式の円柱が印象的な貴族の邸宅

聖ベネディクト修道院の建物が、今ではサレルノ県の考古学博物館となっている。 聖ベネディクト修道院はその歴史を9世紀のランゴバルド人の時代まで遡ることができる。 1400年代前半にはカルロ3世の王妃マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォが晩年を過ごしたり、19世紀には兵站部として使われたりと、用途が変遷している。 度重なる改築を反映するかのように多様な建築が複雑に交…

Villa Cimbrone

ヴィッラ・チンブローネ

テラスからのパノラマが絶景

中央広場から石畳の美しい小道サン・フランチェスコ通りを南へ700メートルほど登ったところにあるヴィッラである。 建造は11世紀にまで遡ると言われ、貴族の所有だったが、20世紀になってからイギリス人の銀行家で政治家のアーネスト・ベケットにより現在のような形に拡張・整備された。

Piazza Umberto I

ウンベルト1世広場

地元民も観光客も楽しめる、ナポリ周辺随一の絶景ポイント

ナポリ市街から連絡船に揺られておよそ30分、カプリ島の高台にあるのがこの「ウンベルト1世広場」だ。 ウンベルト1世広場はナポリ周辺でも人気の高い絶景スポットであり、広場からはカプリ島の市街地からソラーロ山、更には地中海までもを見渡すことが出来る。

Torre Annunziata 

トッレ・アンヌンツィアータ

ヴェスヴィオ火山によって消えた街の、美しき再興

トッレ・アンヌンツィアータは、ナポリ市街地からバスでおよそ2時間ほど揺られた場所にある。 ナポリの息吹がかなり薄くなり、少し片田舎の風景も混じり始めるトッレ・アンヌンツィアータは、ポンペイやエルコラーノと共に、火山灰に埋もれて消えた街ということで知られている。

Duomo di Amalfi

アマルフィのドゥオモ(アマルフィ大聖堂)

多様な建築様式の調和が目を引く歴史的建造物

町の中心であるドゥオモ広場に面して建つアマルフィでもひときわ目を引く重要な建物が、町の守護聖人である聖アンデレに捧げる聖堂、アマルフィ大聖堂である。 豪華な作りは、一時は海洋国として隆盛を誇ったアマルフィの豊かさを象徴している。

イスキア・ポンテとアラゴン城

悠久から紡がれてきた、海と街並みのコントラスト

地中海沿岸、プローチダ島よりも更に西に行ったところに、イスキア島はある。 イスキア島もまた、ナポリを訪れる観光客にとっては定番の観光スポットのひとつである。 そのイスキア島で、最も古くから街が発展していたのが、イスキア・ポンテだ。 イスキア・ポンテは地中海にせり出すように街並みが発展しており、漁港やマリーナなどもあって比較的活気のある街である。

Villa Jovis

ヴィッラ・ジョビス

ローマ皇帝ティベリウスの別荘

カプリ島北東部にある、古代ローマ皇帝ティベリウスの別荘のひとつが遺跡として残されている。ティベリウスはカプリ島を愛し、島内に12のローマ様式のヴィッラを所有していたが、ここはその中でも最大で最も豪華なもので、敷地の面積は7000平方メートルにも及ぶ。 紀元後27年に建てられ、37年に亡くなるまでの晩年の10年間、ここに住まい、帝国の統治をしていた。

1 2 3 4 5 6 7