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オアフ島ホノルル×観光

オアフ島ホノルル×観光

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Pacific Aviation Museum Pearl Harbor

太平洋航空博物館

航空機ファンにはたまらない施設

2006年12月、歴史的にも重要な場所、真珠湾内フォード島にある、真珠湾攻撃時に実際に使われていた格納庫であるハンガー37とハンガー79を改修し作られた博物館。館内には、写真や資料、太平洋戦争当時に使用されていた零戦、B-25などの戦闘機のジオラマや残骸が展示され、真珠湾攻撃の様子や生存者のインタビューといったドキュメンタリー映画などを見ることができる

Ala Wai Canal

アラワイ運河

ワイキキでHoloholo(お散歩)

1921年、ワイキキをリゾート地として開拓するために造られた運河。1928年に完成。「水が湧き出す」という意味を持つワイキキの名の通り、当時は湿地帯で、蚊が多く発生する土地であった。にもかかわらず、王族の保養地であったワイキキだが、王政崩壊後にクーデターで勝利した白人勢がワイキキをビーチリゾートにするために、環境整備を行い、リゾート地と一般生活エリアを分断す…

Duke Kahanamoku Statue

デューク・カハナモク像

近代サーフィンの父

1890年、オアフ島で誕生。生粋の先住ハワイ人。現在のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ・ビーチ・リゾート&スパの近隣で幼少時よりアウトリガー・カヌーや水泳に親しんでいた。デューク・カハナモク・ビーチは彼の名を冠している。

Hawaii State Art Museum

ハワイ州立美術館

無料で楽しめるハワイのアートスポット

ダウンタウンのNo. 1キャピタル・ディストリクト・ビルディングの2階にある州立の美術館。2002年に「ハワイに生きる人々の歩みを形にしたい」という願いでオープンした。美しい白亜の建物は、1872年にホテルとしてオープンした後、YMCAとなり、第一次世界大戦時は兵士用の宿舎となった歴史を持つ。

Hawaii's Plantation Village

ハワイ・プランテーション・ビレッジ

ハワイの移民文化を学ぼう

1976年に有志が集まり、10年以上の年月をかけて1992年に開設。ハワイのサトウキビ・プランテーションの最盛期だったころの各国の移民労働者の歴史を学ぶことができる。1830年代から1950年代までのハワイへやってきた中国人、ポルトガル人、プエルト・リコ人、日本人、沖縄人、フィリピン人、朝鮮人などからの移民の生活を、それぞれの国の写真や資料、復元した住居など…

Kuhio Beach Park

クヒオ・ビーチパーク

ワイキキで一番有名なビーチ

カウアイ島出身でのちにアメリカの下院議員になったカラカウア王のいとこのクヒオ王子は、生前にワイキキの所有地の一部のビーチを一般に開放し、死後はすべての所有地を市に寄贈した。1940年にクヒオ王子のこれまでの功績と栄誉をたたえて、彼の名を冠したクヒオ・ビーチパークができた。8つからなるワイキキ・ビーチの真ん中に位置し、一番有名なビーチ。

Koko Crater

ココ・クレーター

トレッキングを楽しもう

ココ・クレーターはオアフ島の南東側、ハナウマ湾のココヘッドの反対側にある標高368メートルの山。周囲には高い山は無く、ワイキキ側から見ると三角形に近い台形で整った形をしている。

Chinatown

チャイナタウン

多国籍文化のエネルギーがあふれる街

ホノルルのビジネス街、ダウンタウンの西側にあるチャイナタウン。かつて、農園で働くためにハワイにきた中国人の移民たちが築いた街である。歓楽街として最も栄えたと言われる1930年から40年頃は、いかがわしい酒場や売春宿が並ぶ危険な場所であった。

Moana Surfrider, A Westin Resort & Spa

モアナ・ホテル

ワイキキ初の大型ホテル

1901年、ワイキキ・ビーチのの地主、ウォルター・ピーコックにより建造。設計はオリバー・トラプハーゲン。その後、所有者が変わり、増設、改築を繰り返し今に至る。「ハレクラニ」や「ロイヤル・ハワイアン」と並ぶホノルルを代表する高級ホテルである。

Iolani Palace

イオラニ・パレス

アメリカ合衆国唯一の宮殿

1882年、ハワイ王朝7代目カラカウア王によって建設され、1893年に白人によるクーデターで8代目リリウオカラニ女王が王位が剥奪され、王政が廃止されるまでの11年間、公邸として使用されていた。ヨーロッパの宮殿に比べると、華美な外見ではないが、当時としては珍しい照明設備や水洗トイレ、電話などが設置されていた。

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