ザクセンハウゼン強制収容所の観光情報(歴史・行き方・営業時間)

ザクセンハウゼン強制収容所
Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen

2017/05/05 更新

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概要

全強制収容所のフラッグシップに残された陰惨な過去

Gedenkstatte und Museum Sachsenhausen

1933年に設立された「オラニエンブルク収容所」は、1936年に整備され「ザクセンハウゼン強制収容所」と改名された。
ここはナチス・ドイツの勢力下にある全収容所の本部だ。
ザクセンハウゼン強制収容所を手本にして各地の収容所のオペレーションが構築されていった。

1945年にソ連軍に解放されるまでに収容された人数は延べ20万人。
いわゆる絶滅収容所ではなく労働を強制し、その人間としての尊厳を削いできたこの施設には、社会主義者、ナチスによって「劣等民族」とされた人々などが収容された。

1950年には東ドイツに変換され、1993年にザクセンハウゼン記念施設・博物館と名称を変えられ、ナチスの強制収容所時代の遺産が多く貯蔵されている。

見どころ

①厳格な監視と秘密組織による反抗

Gedenkstatte und Museum Sachsenhausen

周囲は2.7メートルの壁で覆われており、高電圧の鉄条網と柵がその脱出を不可能にしていた。
相当数ある監視塔からはサーチライトと機関銃が収容者に向けられていたことから、その厳格さは察することができるだろう。
収容所の西側には強制収容所総監本部があり、ヨーロッパ中のナチ収容所の監督をそこから行っていた。

あまりに大規模なこの収容所では、秘密抵抗組織も発生していた。
要所でサボタージュをすることによって彼らはドイツの生産力を内側から削ぐことをしていた。
管理者はそういった者たちを摘発してきたが、ついにはその秘密組織の完全なる撲滅はできなかった。

②残忍な処罰の数々

Gedenkstatte und Museum Sachsenhausen

そういった反抗者たちには様々な罰が課されてきた。
「ヒキガエル」という罰はうさぎ跳びをひたすら繰り返すが、その間殴られ続ける。
「棒打ち」では罪の重さによって打たれる回数が決まった。
打たれるたびに自らカウントしなければならず、痛みのあまりカウントができなかった場合はそれを回数として含めない。
気絶すれば水をかけて起こされ、命を落とす者も少なくなかった。
「杭」は手を後ろに回した状態で固定し、宙づり状態で木にくくりつけられ、数時間に渡って殴られ続ける。
公開処刑も行われていた。
およそ想像するに堪えない陰惨なやりとりが日常的に、まさにこの場で行われていたことを考えると、人間の残忍性について考えさせられる。

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