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忠烈祠の見所、料金、営業時間、アクセス・行き方等の観光情報

忠烈祠 (チュウレツシ)
国民革命忠烈祠 (グォミングェァミンツォンレイスー)

2016/12/23 更新

National Revolutionary Martyrs' Shrine

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概要

特徴

National Revolutionary Martyrs' Shrine

忠烈祠は戦争で亡くなった英霊を祀る祠。辛亥革命を始めとする抗日戦争や、中国共産党との戦いで亡くなった約33万人の志士・軍人の霊、また著名な政治家、SARSの治療で命を落とした医師等の国家に貢献した人々の霊が祀られている。1時間ごとに行われる息の合った衛兵交代式が有名で、観光客からの人気も高い。

祠は大門、中央広場、山門、大殿、鐘楼、鼓楼、文烈士祠、武烈士祠で構成。白色がベースの大門、中央広場、山門に対して、大殿や鐘楼は中国宮殿様式を採用した赤い柱と豪華な彫刻が施されている。

歴史

元々は日本統治時代に台湾護国神社があったが、第二次世界大戦終戦後の1945年に名称を「護国神社」から「忠烈祠」に変更。その後取り壊され、1969年に北京紫禁城の「大和殿」を模して建設された。

1911年に孫文を精神的な指導者として、清朝打倒を目指し辛亥革命が勃発。革命は成功し1912年に中華民国が誕生したが、多くの人々が犠牲となった。

チェック

①武烈士祠

National Revolutionary Martyrs' Shrine

革命と戦いの歴史を学ぶ

革命運動で命を落とした33万人の志士・軍人の英霊は忠烈祠の武烈士祠に祀られており、現在でも遺族が正確な資料と証明が出来る身分のわかる資料を持ってくれば、個人の霊牌を作っている。廊下には胸像が14体と解説文が展示されていおり、革命と戦いの歴史を知ることが可能だ。

文烈士祠には革命に倒れた唯一の日本人として山田良政が祀られている。陸軍の通訳として従事し、孫文と出会い意気投合し革命運動を支援した人物で、南京同文書院の教授兼幹事として清へと渡り、職務の傍らで武装蜂起に向け準備を進めた。その後周りの日本人協力者が孫文から離反していく中、良政は職を辞して支援を続行。孫文は、1913年に訪日した際に谷中に良政の慰霊碑を建設した。

山門の壁には抗日戦争と杭州における革命のレリーフが飾られている。日本語の説明もあるので足を止めて見て欲しい。お堂までの通路にもさまざまな戦役を説明した絵が飾られており、ここも日本語の説明が書かれている。

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②衛兵交代式

National Revolutionary Martyrs' Shrine

素晴らしい交代式を見学しよう

忠烈祠で一番有名なのは衛兵交代式。毎年3/29(青年節)と、9/3(軍人節)、また台風等の悪天候の日を除く毎日1時間に1回行われる。交代の時間になると隊列を組んだ5人の儀杖兵が、大門から大殿に向かって行進を開始し、交代式が始まる。衛兵は半年ごとに陸・空・海軍のいずれかの軍隊が担当し、制服の色が陸軍は深緑、海軍は夏服が白、冬服は黒、空軍は青となっている。

衛兵になるには厳しい条件があり、選ばれるのはとても名誉な事だ。身長や体重、容姿や学歴に加え、衛兵交代式でも使われる6キログラムの銃を片手で持ち続ける為の厳しい訓練をくぐり抜ける必要がある。衛兵は台座に立っている40分の間、瞬きまでも控えて微動だにしない。夏の暑い時期等は係の人が汗を拭いている姿が見られる。無駄のない動き、手足の上げ下げの角度にいたるまでぴったりと揃い、交代をする。素晴らしい交代式に観客から拍手が起こる程。毎時行われる交代式で、広場には行進でできた5本の跡がある。

(Photo by Alan WuKabacchiAlan Wu)

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